TEDxRyukyuのオーガナイザーをしています

オーガナイザーの私自身の記録をblogにしておきます。時系列なので、一番最初が一番下にあります。そちらから読むとわかりやすいでしょう。

2010年1月30日土曜日

言語の問題

プレゼンテーションのお願いの際に、言語の問題が明らかになりました。当時参加者のタイプのイメージも明確でなく、プレゼンは英語でも日本語でもいいのかも、などと曖昧に考えていました。
しかしヨーロッパ語圏の人にプレゼンテーションをお願いに行きましたが、カンファレンスの言語が日本語だと、自分が質疑やカンバセーションに対応できない、ということでした。ここに至って、初めてカンファレンス言語を明確にしなくては、ということになりました。

実はあまり選択肢はなかったのです。TEDxTokyoは全部英語でしたが、参加者の60%は外国人でした。どちらかというと日本在住の外国人コミュニティの同窓会のような雰囲気さえ感じられました。そういう状況でも平気な参加者でないと、英語でのカンファレンスは難しいだろう。。

私は基本言語を日本語でやることにしました。この当時はまだ英語以外のTEDxをやったケースを知らなかったので(当時はまだ日本語TEDxとなったTEDxSeedsは立ち上がっていなかった)、こういう事をしてもいいのか、と半ば疑問を持ちながらも、これは「広める価値のあるアイデアを広めるためなのだから、言語がローカルになっても構わないだろう」と心に決めました。

0 件のコメント:

コメントを投稿